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着物大事典

きものコラム

(着物雑学)きものの模様について

きものの模様

古来日本人は模様に対してさまざまな思いを込めてきました。きものに対しても同様で、ときに着る人の願いや祈りを表すだけでなく、さらには教養や遊び心を表現したものもあります。日本の着物にしか見ることのできない模様も沢山あります。

 

幸せを祈り祝う心は物欲とともに人の本性と深く結びついています。それゆえ生活の中にさまざまな形で姿を現しいろいろな事象を生み出すことになります。おめでたいとされるものや形、色が日常生活の中でしばしば真剣に選ばれるもそのためです。

 

幸福への祈りの表現や、幸福であることに対する慶びの表現は様々です。音声を発したり、体を動かしたりしてそれらを表すほか、ものの形や色で表すというのが一般的ですがいずれも古代以来変わることなく行われてきました。

なかでも工芸意匠としての吉祥模様はその代表的なもので衣服にはこれが多くみられます。

 

きものに見られる吉祥模様を分類してみると、おおむね次の二つに分類されます。一つは中国からもたらされ、その後日本で吉祥模様として定着したもの。これにはもともと中国で吉祥模様とされていたものが、日本でもそのまま受け入れられたものと、中国では吉祥的な意味合いがさほど強くなかったか、または全くなかったのに日本で独自に吉祥的な意味が与えられたものとがあります。

飛鳥時代から奈良時代にかけて中国文化の影響を強く受け、様々な書物が中国からもたらされました、模様もその例外ではありません。

中国で古くから吉祥模様とされていた竜や鳳凰、雲気などはその代表的なものです。これらのほか含綬鳥模様(がんじゅちょうもよう。綬帯をくわえた鳥の模様でペルシャ起原と考えられています)のように西方から比較的新しく中国にもたらされ吉祥模様になっていったものも同様に受け入れられました。平安時代には文化の国風化の動きに伴って前代に中国からもたらされた吉祥模様に関しても取捨選択と和様化がおこなわれました。なかでも鶴の文様はもともと中国でも亀の文様とともに長寿の象徴とされてきましたがその優雅さゆえに日本ではことのほか愛され吉祥文様の中心的存在になって繰り返し意匠化されました。

 

また吉祥文様として我々に最もなじみ深い松竹梅模様も松、竹、梅それぞれのモチーフは中国ではいずれも吉祥の意味が強いというものではありませんでした。そもそも寒中に耐えて凛とした松、竹、梅は中国では「歳寒三友」と呼ばれ、節操と清廉の象徴ではあっても龍や鳳凰のように強い吉祥性を含むものではなかったのです。しかし日本では松竹梅あ持つ好イメージが時代と共に増幅され、特に近世になって吉祥文様としての性格が強まったのです。一方純国産ともいうべき吉祥文様もあります。たとえば橘は日本で生まれた吉祥文様の代表的なものです。橘(ヤマトコチカン)は、「古事記」の時代から東方の遠方海上にあるとされる理想郷「常世国」からもたらされる果実で、長寿を招き元気な子供をもたらすと信じられてきました。正月の鏡餅の上にみかんを乗せるのもそのためであり、また橘が婚礼衣装や掛け袱紗などにしばしば意匠化されるのもこうした由来からです。

 

また、江戸時代から吉祥文様として意匠化されるようになったもので御簾、几帳、檜扇、冊子、御所車などといった王朝風のモチーフがあります。この時代、人々の間に古き良き時代としての平安時代へのあこがれが生じたことで王朝時代へ連想されるモチーフが吉祥文様となったことが予測されています。そして宗教的な意味を持たず優雅で華やかなその意匠はそれゆえしばしば婚礼の場で用いられるようになりました。

 

一般的に日本人は四季の植物や動物、自然現象をモチーフにした色や模様をその季節に合わせて使用したと考えられがちですが、実際にはそうでない事例も沢山あります。しかし一方で日本人は四季の違いとその移り変わりに強い関心をもっていたことも確かでありこれを着物の模様に反映させた例は少なくありません。

 

たとえば桃山時代には四季それぞれに属する植物がときには季節ごとにまとめられ、ときには取り混ぜられて一つの衣服や芸能衣装の上にあらわされます。

春に着る衣服だからと言って桜や蒲公英といった春の植物、秋に着る衣装だと言って菊や紅葉があらわされるわけではありません。

 

むしろ、春と秋の植物に加えて百合や椿といった夏や冬の植物が一緒にあらわされ四季全てのモチーフが一堂に取り揃えられるのが普通です。「四季模様」とも呼ぶべきこれらは、小袖や打掛一般の衣装だけでなく、能装束のような芸能衣装にも見られ、当時の人々がその文様に求めたもの表現しようとしたものはそれぞれのモチーフがもつ季節感というよりは自然のもつ生命力そのものであったのではないかと思われます。

 

そしてこうした模様にあっては四季すべてのモチーフを同時にあらわすことに意味があったと考えられます。京都国立博物館蔵「四季草花模様段片身身替小袖」は小袖の背面を四つに区切りそれぞれの区画に四季を代表する植物を配置しています。

また東京国立博物館蔵「白地草花模様肩裾縫箔」は、肩と裾に作られた区画の中に四季のさまざまな植物がぎっしりと詰め込まれています。

 

こうしたことは見方によっては季節感の欠如ともいうことができます。同じくこの時代に雪を花や葉、幹の上にのせた植物文様である「雪持ち文様」が見られることもそのことを暗示しています。「雪持ち文様」としてあらわされる植物は椿のような冬の植物や冬にも緑の葉を付けている松や竹だけではありません。

春から秋の植物である桜や柳、芦などにも雪を乗せて表されることは雪にすら季節が込められていないことを示していると言えます。

もちろん中には1つないし2つの限られた植物があらわされるものもありますが、季節感の表現というよりは、植物そのものの美しさや思想的背景が関心の対象になって意匠化されていると考えられます。

 

江戸時代になると女性の衣服や芸能衣装などに四季の表現を意図する植物模様が多くみられるようになります。

それでもすべてが「植物模様=季節感の表出」というわけではなく季節感の表出とそれ以外の目的を併せもつ植物模様が多くなったと考えるべきです。

吉祥模様はその典型ですが「源氏物語」や「伊勢物語」、和漢の詩歌のような文学作品や能、舞楽などの芸能を主題としてその内容を暗示的に表す目的で植物模様が用いられるものもその例と言えるでしょう。

これらではストーリーが特定の季節と強く関係を持っている場合には、結果として植物がその季節を暗示することになります。これに対して「源氏物語」に主題をとった模様における夕顔や藤、「伊勢物語」の「八橋」に主題をとった杜若、能の「石橋」にちなんだ牡丹などは逆に季節感の表出とはかなり距離をもつものと言えます。

 

夏の着物は秋草にとともに松虫や蛍、紅葉や落ち葉などを表して秋の風情を表現した模様や雪や氷をモチーフとする模様などが見られます。これに関連して能装束に秋草の模様が非常に多くみられることにも注目してみましょう。

 

女役の装束である唐織や縫箔には秋草の模様が多くみられますが、これは能のストーリーの多くが秋の季節を舞台としているからというわけではありません。

むしろストーリーの内容が一面うら寂しいが同時に静かな美しさをもったものであり、本質的に秋のイメージに近いものが多いということ、および芸能としての能が目指す「幽玄」という美意識に四季の中では秋という季節が最も近いということが関係しているようです。そこで、物語のイメージや能の美意識を表現するには、秋草の意匠が最もふさわしいと考えられたでしょう。

 

とはいえ、日本には季節ごとのお祭りや儀式、習慣が数多く存在し人々はこれらを生活の中に溶け込ませ日常に受け入れることにより、生活にメリハリをつけていたという背景もあります。こうしたときにこれを社会や他の人々と共有するために、その時節や季節を明確に感じさせる模様を衣服や染織品に表し、使用したと考えられます。

こうした理由で、日本の染織に無られる四季の表現は実に複雑で多様なのです。

 

日本の模様を海外のそれと比較するとき、日本には外国には見ることのできない独自の意匠がいくつもあることに気が付きます。それはモチーフの外見上の面白さや美しさ、そのモチーフが固有にもつ意味や内容を直接的に表現する模様ではなく、説話や物語、詩歌、芸能などに主題を求め意匠化した模様です。

説話や文芸に主題をとるこの種の模様は日本の工芸意匠の中に幅広く見られるものですがその歴史は中世にまで遡ると考えられています。染織品においては詩歌を主題とするものがもっとも早くあらわれ、「栄華物語」の中にはすでに詩歌を意匠化した衣服に関する記述がみられます。

 

現存するきもので詩歌の意匠を表すものとしては、江戸時代初期の遠山記念館蔵「染分綸子地松青海波文字模様小袖」がもっとも早い例です。

綸子地を染め分け、縫い紋と鹿の子紋青海波と松、「山」「戌」の文字を表したものですが、「戌」は「越」の略字であることから青海波および松と合わせて「拾遺和歌集」巻十四の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」(清原元輔)にちなむものであると考えられています。

また物語を意匠化したものでは、これよりも前の桃山時代の能装束にその最初の例が見られます。

東京国立博物館蔵「紅白段短冊八橋草花模様縫箔」は、模様の一部に八橋と杜若を表した部分が見られ、「伊勢物語」第九段の「三河の国、八橋といふところに」で始まる有名なくだりにちなんだ模様であることが分かります。

 

このように日本の染織において伝統的意匠のひとつということができる文学的意匠が最も盛んに用いられ、人々の衣服を飾ったのは江戸時代です。

この時代には「伊勢物語」では「八橋」がもっとも多く意匠化されまた少数ではありますが「武蔵鐙」や「筒井筒」の模様も意匠化されています。